1984年山口県生まれ、幼い頃から地元・自衛隊の航空祭で飛行機のショーを見て自由に空を飛ぶ飛行機が好きになりパイロットになることを志す。また、祖父の影響で機械での作業や大工作業が好きな子供時代を過ごす。地元の高校を卒業後、視力の低下からパイロットへの道をあきらめるが、飛行機が好きなことは変わらないため、航空整備の仕事をすると決意。千歳にある日本航空専門学校航空整備科に入学。2005年に卒業。成田空港での勤務を経て、2012年2月から新千歳空港でライン整備を担当。

飛行機を空へ送り出す仕事

ー どのようなお仕事をされているのですか?

飛行機が到着してから飛び立つまでの飛行機全体の整備を行う「運航間整備」をしています。
現在、777飛行機の担当をしているのですが、
到着してから約1時間でパイロット、キャビンアテンダントから機体の状況を聞きます。
飛行機が着いて、お客さまが降りてから整備がスタートします。
最初の20~30分で飛行機に不具合な場所が無いかチェックします。
燃料が次の目的地までに必要な量だけ補充されたかを確認し、
パイロットに燃料がどれくらい入ったかを説明します。
出発の20分前くらいからお客さまがご搭乗されるので、
その後は機体の外から貨物の確認、外傷や不具合が無いかをチェックします。
整備以外の仕事もしながら1日で多い日は3便、少ない日は1便の整備を行っています。
空を飛んでいる飛行機の機体責任者はパイロットですが、
飛行機が飛行場にいる間は、航空整備士が機体管理の責任者となります。

ー 入社してすぐに今のような整備の仕事ができるのですか?

入社した当時は、成田の格納庫で車検のような、飛行機の重整備を行っていました。
飛行機を徹底的に整備するので、エンジンを整備する部署、
ランディングギアという足回りを整備する部署など様々な部署があります。
僕は当初、電気系の専門整備の分野にいて飛行機の電気配線を直してみたり、
新たなシステムをつけるために配線を組んだりしていました。
それまでの間には、整備として基本的なことはもちろん学び実践しているのですが、
現在の航空整備士として働くために国家試験や社内試験をパスしてきているので、
約7年間は整備の仕事と勉強の繰り返しの日々ですね。
2012年2月に専門学校に通っていた以来の千歳にやってきて、
先輩について、整備の1人立ちができるまでの訓練をしました。
12月に社内試験をパスして、ようやく1人で飛行機1機を整備できることになりました。
飛行機に乗っている時、飛行機が滑走路に出るまでに
手を地上で振っている人がいると思いますが、彼らはこの資格を持っている人たちです。

好きなことをまっすぐに突き進んだら今の仕事についていた

ー なぜ千歳の日本航空専門学校に入学したのですか?

山口県の実家の近所に自衛隊の基地があり、いつも上空を飛行機が飛んでいました。
物心がついた時から空を自由に飛ぶ飛行機がかっこ良く、
好きでパイロットになりたかったのですが、視力の関係があって、
パイロットになることを諦めていました。
小さいころは父と母が仕事をしていたので、
いつも一緒にいた祖父の影響もあって機械いじりや日曜大工が好きで、
一緒になって手を動かしていました。
よく家にあるものやおもちゃを分解しては壊してしまっていましたね。
僕が高校生の時に姉が千歳にある日本航空専門学校に進学し、
飛行機の整備を学べる学校があることを知りました。
ちょうど「エンジニアになりたい。」「好きな飛行機に関わることのできる会社に入りたい!」と
受験をして進学することが目標ではなく、自分の理想の仕事に就くことを描いていたので、
自分の想いのまま突き進み、専門学校に入学しました。

ー そこではどんなことを学びましたか?

多くの人が関わる飛行機の整備をすることの責任を、徹底的に学びましたね。
学校の教官は整備会社出身の方が多かったので、
多くの人と共にチームになりながら、乗客の命を預かっている仕事というのは
学生時代から意識しながら学んでいました。
その当時の教官が言っていたのは、『いくらパイロットが飛ぶ』と言っても
整備士が飛行機の不具合を感じていたら、GOサインは出せないということ。
そう思ったら出さなくていいんだということ。
JALのパイロットは「安全」を最優先に考え、
自分が問題ないと納得するまで飛行することはありませんが、
この時の想いはしっかりと今も持っています。

学ぶことも仕事のうち

ー 働く上で大切にしていることは何ですか?

なにがあっても飛行機を最終的には空へ送り出したいです。
そのためには関わりのある他の部署とのコミュニケーションを大切にしています。
パイロット、キャビンアテンダント、貨物を搭載するスタッフ、
給油会社の方、その他JAL関連会社のスタッフなど、
たくさんの人たちが集まって、1つの飛行機を出しています。
飛行機を1機出すためにしっかりとコミュニケーションをとりながら、
より良い状況にしていきます。コミュニケーションをとらないとなにも始まらないですね。
そして、この仕事は学び続けることも仕事だと思っています。
この業界は常に技術が発展して、新たな機械な勉強や
対処の知識を増やしていかなければなりません。
飛行機は約20年くらいで入れ替えがあるので、退職するまで勉強は続きますね。
僕自身、飛行機についてしっかり知った上で飛行機を整備したいと思っています。
資料をみたり、現場で確認して「あーなるほど!」と思う瞬間がとても好きです。
工業製品でありながら、デザイナーがいて、プログラムを考える人間がいてできた飛行機の
設計思想なんかが解ると、なるほど!と納得しながら、仕事に活かせることができますよね。
整備はその繰り返し、学びが日々あるなかで仕事をしています。
さらに知識をつけることに挑戦したいですし、今は現場で働き続けていきたいです。

ー この仕事ならではの達成感ありますか?

まだ1人で整備をしていて大きなトラブルはないのですが、
成田空港では重整備をしながら現場のアシストもしていたので、
現場から整備の応援要請があるとすぐに状況を把握して、
飛行機のパーツを交換をしていました。
チームワークが必要な作業が一発でなおると達成感はありますね。
あとは、飛行機を出発させ手を振っている時に、
客室から小さな子どもが手を振り返してくれると
地上での責任をしっかりとパイロットに託した気持ちになりますね。

ー 徳本さんのお仕事はどのように千歳に関わっていますか?

僕自身がこの千歳で仕事をしているという事実しか、まちとの関わりはありません。
空の移動を安全にしっかりと送り出すことで、
僕が千歳で働くことで少しでもまちのイメージがよくなったり、
快適な空の移動ができたお客さまがスムーズに日々の活動ができたりする
繋ぐ役目になっていけたらと思います。

はたらきっぷ

ー 今の仕事に興味を持ったきっかけ、仕事に対する価値観が変わったきっかけなどを駅に例えて、きっぷに書き込んでみてください。

4年ほど前、整備の資格試験のため重整備の格納庫から
外に出てお客さまがご搭乗した飛行機を見送りました。
それまでは重整備が中心だったので、飛行機に乗っている
お客さまとの接点が直接見えなかったのですが、
夕方の飛行機を見送っていた時、飛行機に乗っている子どもが
僕に向かって元気に手を振ってくれました。
このことがきっかけで自分の仕事を、
よりお客さま目線で見ることになりましたし、
整備をした後に、以後の責任を引き継ぐキャプテン、
そしてキャビンアテンダントのことを
より考えるようになりました。
株式会社JALエンジニアリング
新千歳空港
ライン整備士
  徳本邦彦
住所   千歳市美々 新千歳空港内
URL   http://www.jal.co.jp