1978年北海道恵庭市に生まれる。小さい時から手を動かすのが好きで身の回りのものをつくりたいと思い、札幌市立高等専門学校インダストリアルデザイン学科建築デザインコースに入学。卒業後は、社寺建築を扱う宮大工の世界に携わり、関西方面を中心に各地をまわる。
また、2008年から大工としての仕事の他に、社寺建築での端材や古材を使った内装の設計、デザイン、施工、注文家具を創り始める。現在は、北海道恵庭市を拠点に、スプーンなどの小さなものから、お寺や神社などの建築物までありとあらゆるものをつくっている。今年に入り、屋号をゲンカンパニー/Gen & Co. と定め1人でものづくりを行っている。

故郷を離れて仕事をするということ

ー 村上さんの職業である大工になるきっかけはなんですか?

高専に進学してから建築デザインコースに進んだのですが、
「建築関係の仕事に就職をする」というイメージがつかめず、
ものをつくるのが好きという理由で漠然と農家か調理師になろうと思っていました。
そんな矢先、学校の先生から京都にある社寺を専門とする工務店の現場監督の仕事を紹介され、
1人旅はよくしていて京都の街も知っていたので、
「京都行けるなら行く!」と2つ返事で決めました。
会社は京都市内から1時間半ほどかかり、人口は3,000人という宇治田原町という町にありました。
現場の職人さんをはじめ、会社の方々はもちろん関西弁。
仕事の勝手も解らない上に田舎なのでなまりが強く、言葉も理解できず入社当初は怒鳴られる毎日。
現場監督は本来、施工図を描いたり材料の手配をしたり、大工の棟梁や設計事務所などと
打ち合わせしたりするのがメインですが、最初は雑用です。
職人さんのお弁当を手配したり、大工さんの子分の様に現場を手伝ったり、
材料運搬したり、材料を数えたりしていました。

就職して3年目に、2級建築士の資格を取得しました。
資格を取得すると周りも認めてくれ、仕事も楽しくなってきたのですが、
現場監督という仕事は現場に広く浅く関わるので、
仕事が自分の身についていく感じを得られませんでした。
その頃、町家をカフェや美容室にするリノベーションがブームでした。
もともと生活空間には興味があったので、こういった歴史を大事にしたリノベーションができる
大工さんになりたいと思ったのが、大工になることを決めたきっかけです。

ー 大工という職業にすんなりとなることはできたのですか?

最初の職場を辞めた時は、大工仕事をするための道具もないし、
建築士の資格を持っていても技術も経験も無いので、
京都で町家を改修している会社で大工として働くと決め、
タウンページを見て工務店に電話したり、チャイムをならして突然訪ねたりしていました。

そんな中、町家を改修してできた建築専門の本屋さんで大龍堂という店によく行っていたら、
店主が「紹介してやる」と勧めてくれたのが滋賀県彦根市にある
西澤工務店という社寺(神社やお寺)を扱う会社でした。
会社に電話をすると新しくとる人は決まっていたのですが、
一度現場に伺い、社長さんと話しをしていると気に入ってくれて、「じゃあ くるか?」と。
本来は社寺では無く、京都に居ながら町家の改修をしたかったのですが、
建築でいうと社寺はクラシックだし、今まで現場監督として関わっていたのも社寺だったので、
大工の見習いになることを決めました。

自分しかできない仕事はなにか

ー 大工になってからはどんなお仕事をされてきたのですか?

西澤工務店では大阪府池田市にある本堂の新築現場から始まり、
和歌山県の本堂の新築、天王寺のお寺の改修など、
大工の見習いとして多くの現場に関わらせてもらいました。
その後、結婚を機に一度北海道に戻ってきて、
建設会社で一般住宅をつくる大工として1年間働きました。
宮大工(神社仏閣の建築や補修に携わる大工)と一般住宅の大工は、
同じ大工と言えど、使う道具や材料、仕事の内容が違い、戸惑うことが多かったです。
その後、縁あって再び社寺建築の仕事へ戻ることになり、
奈良、福井、群馬、函館、大阪の社寺の新築、復元工事、改修工事に携わりました。

ー なぜ恵庭を拠点に活動を初めたのですか?また、今はどのようなお仕事をされているのですか?

結婚して子どもが生まれ、生活スタイルや価値観が大きく変わりました。
全国を現場ごとに転々とする仕事のやり方や関わり方を見直して、
地元の恵庭市に戻り、今までの技術や経験を活かしたものづくりの拠点をつくろうと思いました。
今年の4月から、屋号であるゲンカンパニーとして、スプーンや家具、家からお寺・神社まで
木材を中心とした生活の中にあるものをつくっています。
また、社寺建築で出た端材や古材を使った内装の設計・施工、
注文家具や木工品をつくっています。

そして今、一番力を入れているのが、自分たち家族の家と工房をつくることです。
縁あって50年ほど前に建てられた古い家と納屋を借りることができ、
その改修に今一番時間を費やしています。
以前住まわれていた人の家への愛着や想いを感じながら作業をしていると、
ただ、自分たちの住みたいように作り変えるのではなく
当時の材料や間取りを活かして直していこうという思いが強く湧いてきます。
自分のHPでは写真やテキストで記録を公開しているのですが、この作業を公開して
どういった方に興味を持っていただけるかの実験でもあります。

その地域に住むことで見えてくる自分の仕事の役割

ー 達成感を感じるのは、どのような時ですか?

恵庭に帰ってきて、拠点になるこの家に出会うまでとってもきつかったので、
改修をスタートできたことが一番の達成感です。
改修の時は世間ではゴミだと思われている様な古材や端材がたくさん出るのですが、
それを材料として新たなものをつくることを考えるとワクワクします。
また、この家自体をそういった端材や古材でつくった家具や内装のショールームにしていきたいし、
その時に初めて大工になってやりたかったことがやっと達成される感覚があります。

ー 村上さんの仕事のポリシーとはなんですか?

そこにあったもので創り出すことです。
床板をはがしたものでも次に活かされるものをつくろうと思っています。
古材や端材などの材料が先に集まってくるので、
その材が活かされる形はなんだろうと思った時に次のものになるアイディアが生まれてきます。
僕は、札幌市立高等専門学校でデザインとは何かを学ばせてもらいました。
これからは、ただつくり変えるのではなく、そこにある材料の歴史を理解しながら、
今の生活にも合う新しいものづくりにチャレンジしていきたいです。

ー 恵庭に移ってきてからの変化はありましたか?

社会人になって宮大工という職業になってから、
どこかに長く定住したことが一度もありませんでした。
「根をはりたいね」と奥さんとよく話しをしていたのですが、
ここに定住するという決意は大きな心の変化です。
両親が恵庭に40年以上住んでいて、地域の人たちとの信頼があるから、
息子である僕が恵庭に帰ってきて制作をしていると「村上さんの息子さんね。」と
まちの方々に不安感を与えず今の活動を理解してもらえることはとても有り難いですよね。

自分たちが恵庭で仕事をしていることで、人が来るきっかけの点の1つになれば嬉しいです。
ぼくたちみたいに小さな規模でも人が集える場所が
恵庭に増えていけば素直に楽しそうだなと思います。
僕たちの家も、いつか人が集える場所になってもいいと思っています。

また、今年の夏には小学校で木工教室の講師をしました。
子どもたちと一緒に工作をしたり、
恵庭の青年会議所主催の仕事体験教室でワークショップなどを実施しました。
こうやって地元の子どもたちを通して地域に馴染ませてもらえていることも、とても嬉しいです。
恵庭の広報誌などでも紹介していただいて、
古材や家具などを持ってきてくださる地元の方々が増えてきました。
こうやってまた新たにできた地元の縁を大事にして、ものづくりを続けていきたいと思います。

はたらきっぷ=上海の夜

ー 今の仕事に興味を持ったきっかけ、仕事に対する価値観が変わったきっかけなどを駅に例えて、きっぷに書き込んでみてください。

学生の頃から1人旅をするのが好きで、
最初の就職先を辞めた23歳の僕は
神戸から船に乗り1人で上海に向かっていました。
そこで、自分の人生これからどうなるんだろうと、
ヤバいぞヤバいぞとずーっと考えていた時に
小さい頃を思い返していました。
工作がとても好きで、自作の筆箱や自分が使いたいものを
時間を忘れてつくっていたんですよね。
自分の原点である「身近なものをつくりたい」という気持ちを
思い出せた瞬間でした。
ゲンカンパニー/Gen & Co.
代表・宮大工   村上智彦
住所   恵庭市春日94−1
URL   http://www.tomohikomurakami.com