北広島市 越前大介さん
札幌で生まれ育ち小学生から高校生までサッカー少年として過ごす。高校卒業後、部活の先生に勧められたスポーツ用品を扱う小原スポーツに入社。入社直後、社内の花火部門の手伝いをきっかけに花火に興味をもち、異動願いを申し出る。その後花火師となるため国家資格を取得、2011年に工場長となり、現在は創業100年となるヤマニ小原煙下株式会社を支えている。

ゼロからつくり出す夜空の景色

ー ヤマニ小原煙火株式会社ではどのようなお仕事をされていますか?

花火大会で使う大きい打ち上げ花火を作っています。また、花火大会の企画・構成も行っています。創業は1913年(大正2年)、来年で100年になります。もともとこの工場は札幌の中の島にあり、火薬銃砲店としてがはじまりです。 その後、札幌オリンピックの兼ね合いでスキーやスケートなどのスポーツ用品も取り扱うこととなりました。2010年、花火部門とスポーツ用品部門の2部門に分社して、今はヤマニ小原煙火株式会社として花火専門の会社となっています。 スポーツ部門は小原スポーツとして札幌の駅前通りにあります。僕は、花火をつくるために必要な煙火製造保安責任者と、火薬類取扱保安責任者の2つの国家資格を持ち工場現場の責任者として仕事をしています。 打ち上げるためには社団法人日本煙火協会が主催している打ち上げ従事者手帳を、毎年講習を受けて更新していきます。花火大会ではプログラムというものをまず最初につくるのですが、大会の予算、打ち上げ時間、大会のイメージをもとに、どんな構成の花火大会にするのか確定し玉を選んでいきます。 大きい大会では一度に2000~3000玉の花火を打ち上げるので、花火の制作はシーズンでは無い秋から春にかけてつくりつづけます。火薬を扱うのでストーブは使えず、冬場は湯たんぽを抱きしめて震えながら作ったり、数が追いつかない場合は内地の業者から一部仕入れることもあります。 この工場では6月までは通常7名ほどで働いていますが、花火シーズンの夏になるとアルバイトやOBのかた、所属の花火師をいれて30名くらいの体制になります。毎週末忙しく花火を打ち上げていますよ。

ー なぜ花火師になったのですか?

小中高とサッカーをやっていたので高校の先生に勧められ、分社前の小原スポーツに入社し、営業マンとして働いていました。入社直後、花火大会で花火部門のスタッフの手伝いとして駆り出され、右も左も解らないままどしゃぶりの雨の中で「一発上げてみれ」と言われたのです。 寒くて手が震えていたのですが、一発上げた時にドーンっと勢い良く打ち上がりました。本当はあまり上を向いてはいけないのですが、上を見たんです。その時、寒くて震えていた体が、ジーンっと熱くなりました。見つめた先には 自分が上げた花火が夜空に舞っている。 素直に感動したことが印象に残り、その花火を見た人たちの歓声も聞いて、「気持ちいい~」と感じたんです。花火を間近で見たことがきっかけで、花火自体の魅力をその時はじめて感じました。その後、異動願いを申し出て当時の花火部門ではたらき始めました。 サッカーボールから花火へとカタチも中身もすっかり変わってしまいましたね。二十歳で花火師になり、去年の世代交代で工場長となりました。この仕事についてもう18年です。誰のものでもない夜空に、自分の想像した花火を打ち上げ、それを喜んでくれ、感動してくれる人が居る。こんな贅沢な仕事は無いなぁと思います。

長い準備を経て、打ち上げられるその一瞬

ー 花火の魅力はどんなところですか?

言葉で表現することが難しいのですが、この仕事ってほとんど準備なんです。打ち上げるところは仕事量でいうと全体の1割、派手な部分はとても少ないです。あとの9割は準備準備で、しかもリハーサルはできません。本番の玉がなくなっちゃいますからね。 全部頭で想像して打ち上げ準備をしなくてはいけません。そこが難しさであり、面白さでもあります。今でも準備だけだと嫌になることもあります。ただ、打ち上げられた花火を観たお客さんから歓声があがるのを聞いた時に、もっといいものをつくって、見てもらいたいという気持ちになります。その繰り返しで今日があります。 花火を一言でいうと、人生みたいです。振り返ることができないですから、一歩一歩進んで行く様子が似ていると思います。

ー 達成感、満足感を感じるのはどんな時ですか?

花火の打ち上げには「こういうものだ!」という正解がありません。見て覚えるのが基本で「あとは自分の想像力でのばしていきなさい」というのが花火師の現場です。今、僕自身も工場長という肩書きがあるにせよ勉強中ですし、みんながそうなんです。 ここまでというゴールが無いので、次はもっと良いものをつくり上げる!というのが、その都度の目標になります。現場では「昨日の花火大会よかったな~これもう一回やろう!」ではなく「もっといいものつくっていこう」という会話になっていきます。 過去の栄光にはとらわれず、またゼロからつくり上げていきます。打ち上がった後の僕たちの感動は、時間をかけて、その瞬間を作り上げた達成感で大きな喜びとなります。きっとお客さんとの感動とは違ってますね。後片付けしながら花火師が感動して涙をながしていることもあります。

安全のために信頼しながら疑う現場

ー 花火師ならではのこだわりとは何ですか?

扱うのは火薬ですから、安全第一ですね。そして花火を上げることは1人ではできないチームワークです。仲間を信頼しつつも確認を何度も何度も行って、疑わなければいけない部分もあります。矛盾しているけど、信頼しながら疑うことが重要です。 でもその根っこには仲間としての信頼や想いがあるからこそで、そのためにも花火の制作過程でのコミュニケーションや、日常でのたわいのない会話を大切にしています。それが出来てこそ、安全を保ちながら、花火を打ち上げることができるんだと思います。花火制作という地味な作業で、長い期間準備をして打ち上げるものです。 お客さんは打ち上げられる花火の一瞬をみるので、それを見てがっかりされるのが一番つらいです。そうならないためにも、がっかりさせない演出にこだわっていくこと、そこに時間を費やすことにしています。大きい大会であれば使う玉は2000個になることもあります。そんな時は火薬庫にもぐって一人になり、目をつぶりイメージして玉を選びます。 一度は決めたものを1日置いて、また次の日構成を再度練り直すこともあります。「お客さんに喜んでもらいたい」、それを常に考えた上で構成していきます。もちろんリハーサルができないですから、全部頭の中で想像して本番を迎えなければならないのです。イメージ通り打ち上げられ、夜空を彩った時の歓声を目指すには日々花火の構成アイディアを考えています。

ー 花火師の仕事はどのような人にむいていると思いますか?

花火が好きじゃなければできないですよね。興味本位でこの仕事にチャレンジする人もいるのですが、準備の期間がとても長く地味な作業がつづきます。想像していた花火を打ち上げる瞬間というのは本当に短いですから、自分のつくった玉を上げずして、本番を知らずに辞めてしまう人も多いです。 夏場の打ち上げでは体力を使うので、体力に自信がないとできないです。だからといって男性だけかというと、この会社には2名の女性花火師もいます。

はたらきっぷ=どしゃぶりの雨の中で初めて打ち上げた花火

ー 今の仕事に興味を持ったきっかけ、仕事に対する価値観が変わったきっかけなどを駅に例えて、きっぷに書き込んでみてください。

サッカーひと筋で花火に縁の無かった人生に、突如やってきた、花火を打ち上げるという瞬間。どしゃぶりの雨の中、火をつけた花火は空に舞い上がり、彩った。さっきまで寒くて震えていた体は、緊張と達成感で熱くなり、人々の歓声と共に自分が心の底から感動したことが自分の仕事までを変え、この瞬間から20年、花火師として仕事をしている。

ー 今後の将来像として、越前さんが目指している姿はどのようなものでしょうか?

この仕事は景気に左右されます。寄付金や予算が下がると花火もなくなっていくので、今でも明日があるかわからない状況です。去年は震災があり自粛ムードがあったのですが、逆に盛り上げていこうという想いの中で花火が少しでも活躍できたことは有りがたいことです。 正直、生活には関係のない職種です。でもそこにその人の思い出や感動を、花火を通してつくりだせたらと思っています。だからこそ、見てくれる人が喜んでもらえることを常に考えて、新しい演出をつくり続けていきたいです。後輩たちには見て覚えて、自分らしい仕事をつくりだして欲しいですね。

ヤマニ小原煙火株式会社・煙火製造所
工場長   越前大介
住所   北広島市西の里757番地
TEL   011-375-3455
FAX   011-375-3487
URL   http://www.obara-shop.com/hanabi/