1962年、札幌の日本茶専門店「玉翠園」に生まれる。高校卒業後、法政大学法学部に入学し、お茶とは無縁の道へ進むことも考えていたが、在学中に祖父が亡くなったことをきっかけに、家業を継ぐことを決意。卒業後札幌に戻る。2002年に日本茶インストラクターの資格を取得し、2010年から協会理事を務める。北海道ではただ一人お茶の入れ方理論、抽出化学、成分と健康科学の専任講師の資格を持ち、お茶の啓蒙活動を積極的に行う。

法学部からお茶屋の世界へ

ー 家業である玉翠園を継ごうと思ったきっかけはなんですか?

最初は継ごうなんて思っていませんでしたよ。
大学は法学部だったのでそっち方面の道に行こうと勉強していましたが、
創業者でもあるじいさんが急に亡くなって、帰ってこいと言われました。
その時に思ったのは、じいさんが残してくれた資産を
きちんとした形で守らなくてはいけないということです。
お茶屋の経営というのはこの店舗の管理だけではありません。
お茶を熟成させるための石蔵を所有していたり、
店舗では見えない所で商品のやり取りがあったりと、
バックにある程度の資産があってこの小さな店舗を展開出来るのがお茶屋なんです。
それを守り続けること、維持することはとても大変でパワーがいる。
なんでも目減りしてくるこの時代に維持できているのは、
じいさんの作りあげた人脈、信頼などの基礎的な資産があったからこそと思いました。
自分が大学で勉強した法律の知識を家業の経営にそそぐのもありかなと考えたんです。
お茶屋で働くと決めた時には、やるしかない!という気持ちでした。

ー 創業当初からこの場所にお店があったのですか?

創業した昭和8年から、場所を変えずにずっとここの場所にあります。
当時は野菜、米、麦などを育てていた農家の人、豊平川で鮭を獲っていた人、
円山や藻岩山でシカやクマを獲っていた人が近くの2条市場で物々交換をしていた時代。
祖父は北海道では生産のできないタバコやお茶や海苔などを取り扱っていました。
2条市場で物々交換した人たちが、帰り道にここで買い物をして帰っていったんです。
そのうち主力がお茶になっていったと聞いています。
タバコや海苔をお茶屋で一緒に取り扱っていたのは、全部乾物だったからです。
昔は各家庭に冷蔵庫はなかったので保存は蔵に入れるしかなく、
そういった物を保管して販売するのは、蔵を持っているものの役割でした。
そんな歴史の名残がお茶屋にはあるんです。

昭和8年のお茶を、100年後も味わうために。

ー お仕事を始めた頃、苦労したことはありますか?

大学を卒業後家業を継ぐと決めてからは、かなり勉強をしました。
私は法学部卒業なのでどちらかといえば理屈っぽい性格。
そんな私にお茶の情緒とか、
「お茶っていいでしょ」「お茶って気持ちがなごむよね」と言われても、納得できず。。。
なぜ気持ちがなごむのか、なぜ体にとっていいのかという部分をちゃんと
科学的に体系学的に学問として整理して身につけたいと思い、
日本茶インストラクターになったのです。
昔からじいさんは私にお店を継げとはひとことも言っていなかったけども、
小学生の私の手を引いてお茶農家へ仕入れによく連れて行ってくれていました。
小さいころから自然とその環境を見せられていたことが、
抵抗なくお茶屋の世界に入れたのだと思います。

ー このお仕事でのこだわりとはなんですか?

店舗を拡大しないことです。実はじいさんの代から、
何度かそんな話はありましたがすべて断ってきたそうです。
それはうちのお茶の熟成技術が一子相伝と言って、
自分の子供一人にしか継がせないと決められていたからです。
店舗を増やすことは知識・技術を広めていくこと。
広めた拠点にそれぞれ自分の代わりになれる人を配置しなくてはいけない。
でも結局、一子相伝の技術でもってやっていくと、
自分のところでやれるものは限りがあるわけです。
それをたくさん分散すれば大きくなるわけではないですよね。
ここ一カ所で売れるものを散らばしても意味はありません。
だとすればうちは大きくできない店なんです。
じいさんがやり始めたころのお店の規模と今の規模は変わっていません。
たぶんこれから100年経っても変わらないのは約束できます。
良質を保つ量には限界があって、そうであれば必ずしも拡大せず
質を維持することに特化するのも道と思っています。

「熟成」とはある意味博打で、うまくいかないときは熟成ではなく劣化になります。
玉露は値段が高くて、一年に一回しか仕入れるタイミングがないので、
その一回に仕入れたものが熟成に失敗するということは、損失が大きく責任問題になります。
経営者なら自分が痛い思いをすればいいけれども、従業員に責任をとらせるのは無理でしょう。
うちが相伝技術にこだわる理由はそこにあり、従業員には教えてあげられないのです。

そして、実はお茶って全部売らないんです。
お煎茶とか新茶は取れたてに価値があるからすぐ売りますが、
熟成した方が美味しい玉露はその年の半分しか売りません。
残りの半分を取っておいて、次の年のお茶に足して一つにしておきまた半分だけ売っています。
だからうちの熟成させた玉露には昭和8年の玉露も交じっているわけです。

お茶の専門家だから出来ること。

ー 玉木さんはどのようなお仕事をされていますか?

日本茶の管理製造・販売です。店頭ではお茶の販売だけではなく、
オリジナルのソフトクリームやパフェなどの商品があり、それらの商品開発も行っています。
いろいろ仕事はありますが、できるだけ店頭に立つようにしていますね。
とにかく自分で最初から最後までできるというのが、継ぐための最低条件でした。
そうやってずっと叩き込まれてきたので、自分でやらないと気が済まないことが山ほどあって、
可能な限り私が店頭で接客するようにしています。
一番美味しくつくれるのは自分だと自信を持っていますからね。
私はお茶の専門家なので、お茶の効能・レシピで素材の良さをひきだす自信があります。
店頭で販売しているアイスやパフェは、約10年以上かけてできた商品です。
私は北海道の一番いい食材をお茶と組み合わせたら
どんなに美味しくなるだろうかという考えから始めました。
しかし当時は北海道産の食材を集めることがとっても難しく、
道産といっても実は中国産も混ぜてますと平気で言っている時代だったんです。
こだわりぬいたすえ十数年たって満足のできる商品ができました。

ー なぜ北海道産の食材にこだわったのですか?

本州の農家と付き合う機会が多いからだと思います。
本州と北海道の農家ではものすごく収入の格差があると感じていました。
本州の農家では場合によっては半加工までしていたり、
その近辺の農協と協力して製品にしているので経済的には強く、ある程度の収入があります。
北海道は広い敷地でたくさんの農産物を原料として、一番安い状態で出荷しているので、
例えば肥料がちょっとでも値上がりすることで、利幅が少ない分ものすごいダメージを受ける。
それを何とかするには、地元でちゃんと加工して、
こんな風にできるというバリエーションを増やしていくしかないと思ったんです。
私の女房の実家が酪農家でしたが、そこでは牛乳をたくさん搾っても
乳価が安くて場合によっては廃棄しなくてはいけないことがあったんです。
もっとちゃんと正当な評価を受けるべきだと思い、
それを何とかするために考えたメニューばかりです。譲れない一線です。

身近にある飲み物だからこそ、もっと知ってもらいたい。

ー 玉木さんのお仕事はどのように地元地域に関わっていますか?

一部小学校の家庭科でお茶の授業をさせてもらい、
その他にも年間20回以上、日本茶啓蒙活動を行っています。
特に伝えたいのはペットボトルのお茶についてです。
みなさんペットボトルのお茶すべてに添加物が使われているのは知っていますか?
うちでもペットボトルのお茶は販売しているし、ダメとはいいません。
ただ、一般の消費者にはお茶イコール安心と思われていることが問題なのです。
例えば子供が家に帰ってきて毎日ジュースをのんだら親は子供に注意するけど、
毎日ペットボトルのお茶を飲むことはだれも注意はしないと思います。
ペットボトルのお茶は便利で保存がきくが100%添加物が入っている。
急須のお茶はひと手間かかるし、直ぐに飲まなくては味が変わってしまうが、
添加物は入っていない。私はペットボトルと急須で淹れるお茶に優劣はないと思います。
ただしきちんとした情報を知ったうえで、両方を使い分けてほしいのです。
このままではペットボトルの優秀さの陰に添加物が入っていることを知らずに、
便利というだけで家庭から急須がなくなってしまいます。
急須がなくなってから今の話を聞いても手遅れです。
札幌はまだ違いますが、残念なことに本州などでは急須のない家庭が増えています。
小学生に本物の味を伝えると、みんなが「おぉ!」っていいますよ。
小学生だって本物の味はわかるんです。地元の小学生にだけではなく、
その親御さんなどもっと多くの人たちにお茶のことについて
伝える場をつくっていこうと思っています。

ー これからの玉木さんのお仕事での将来像はどのようなものでしょうか?

もっとたくさんの小学校でお茶の授業を行いたいです。
それは、私が教えるだけではなく私と同じように、授業ができる人や環境を整えたい。
直接商売とは関係ないかもしれないけど、最終的にはおそらく繋がってくるでしょう。
きちんとお茶のことをわかって、上手に淹れる人が増えれば、
それはまわりまわって私の所にもプラスになると思います。
ただしペットボトルと急須の話は急がなくてはいけません。
急須がなくなってからだと伝えるのは大変です。
だから、なくなる前に伝えていけるように教育にシフトしていきたいです。
これは時間との戦いだと思っています。
忙しい人が住んでいる地域から、急須がなくなっているようです。
正しい知識を利用して生かせるようになってもらうことは健康にもいいことです。
普段飲んでいるお茶だからこそ、もっと知ってもらいたいし、伝えていきたいと考えています。

はたらきっぷ=「農家のおじさんの言葉」

ー 今の仕事に興味を持ったきっかけ、仕事に対する価値観が変わったきっかけなどを駅に例えて、きっぷに書き込んでみてください。

じいさんとお茶農家を訪れた小学生の時、
近所の子供たちとふざけてお茶の木を抜いて遊んでいました。
農家の人もじいさんも遠くから見ていたけど、
その時は何も言わないんです。
その日の夜、猟師の人が仕留めたイノシシを鍋にして
ご馳走してくれた農家のおじさんに、
静かな口調で言われた言葉が忘れられません。
「ぼん、うまいか。そのイノシシもさっきお前さんが
引っこ抜いたお茶の木も生きていたんだぞ。
美味しいと言って食べるのならいい。
でも遊びで殺してはいけない。」
小学生の自分にはとっても重い言葉でした。
おもいっきり怒られた方がまだ気持ちは楽だったと思う。
それからはお茶の葉っぱだろうが、牛乳だろうが、
肉、魚だろうが、すべてが「命のひとかけら」だと思っています。
今では少しでも美味しく頂いてもらうのが、
お茶屋の仕事だと考えています。
お茶の玉翠園 株式会社 玉木商店
代表取締役   玉木康雄
住所   札幌市中央区南1条東1丁目1番地
TEL   0120-55-8088
URL   http://www.gyokusuien.co.jp