1971年北海道苫小牧市に生まれる。幼少期から木版画や木彫(もくちょう)を行い、木を素材に自主制作を行う。高校、大学共に木材工芸を専門に学び、卒業後、木工房に2年間弟子入り。その後3ヶ月のヨーロッパ放浪を経て、当別町にある財団法人 スウェーデン交流センター木材工房に2年間勤務。その翌年1997年からスウェーデン・カペラゴーデン手工芸学校へ3年間留学、帰国後2001年design studio shimada設立。また、2011年には日本人で初めてスウェーデン家具マイスターの称号を取得。現在、当別町内に住みスウェーデン交流センター内木工房を拠点とし家具を中心に制作している。

気づいたら好きなことが仕事になっていた

ー どのようなお仕事をされているのですか?

素材が木であれば、家具、まな板、表札など基本的になんでもつくります。お客さまはオーダーで注文をしてくださることが多く、その人の空間に合ったものをつくりたいので、ご自宅にうかがってすでに使っている家具の雰囲気や色、素材や木の種類にあわせてつくりだします。そういうやり取りを経てつくっていくので、もちろん設計図があるわけではありません。デザインをして、材料を買ってきて、つくるところまでの行程すべて0から10まで自分で行います。すでにある空間とバランスが合うこと、その中で自分の特色を出すことを心がけてカタチを考えています。時には僕がつくったものではなく、壊れた木のイスを「直りますか?」と持ってくるかたもいます。木の物は直せば使えるもの。僕ができる範囲であればもちろん直します。また、木象嵌(もくぞうがん)という様々な色調の木材をはめ合わせた絵をつくっています。なので、自分の職業としてのくくりは家具だけをつくる「家具作家」というよりも木を素材として物を創り出す「木工家」なんだろうと思っています。

ー この職業についたきっかけは何ですか?

小学3、4年生の時の授業で木版画をつくったのです。木の板に下絵を描き彫刻刀で削り、色を版木(はんぎ)にのせ、刷った時に木目が偶然写りました。何も削っていないのに写る木目の表情を不思議に思って、「これは何?」と先生にたずねたら「木目だよ。」と教わったのです。その木目に心が奪われ、その出来事をきっかけに学校から家に帰ってきてはテスト勉強もせずに木版画を削って刷ってを繰り返す日々が始まりました。小学校5、6年生の時には毎週末お弁当を持って、苫小牧から白老まで熊の木彫りをつくっている職人に彫りの技術を教わりに行っていました。高校は北海道で唯一の工芸高校、音威子府高校出身です。木工の事が勉強できることを知り、中学1年生の時に見学に行き、即座にこの高校に入ると決めました。彫刻刀を握ることから始まって、今も同じ素材である木を素材としてものをつくっています。幼い頃から気づいたらずっと飽きもせず、集中して作業を行っている様なところは今も変わらないです。なにも深いことを考えずに意識せず、気づいたら好きなことが仕事になっていました。

気になったら即行動!

ー 当別町とスウェーデン。この2つの場所とはどの様に出会ったのですか?

当別町と、スウェーデンのレクサンドという町が25年前に姉妹都市を提携しました。姉妹都市とは、市民の文化交流や親善を目的として提携した都市同士の関係です。その当時僕は中学生で、新聞に目を通すと当別にスウェーデン交流センターという木工房が併設された施設ができることを知り、実際にどんなところなのか木工房見たさに見学に行きました。そうするとスウェーデン人と日本人の職人が一緒に作業する姿を見て、純粋にいいな、という記憶が残ったんです。大学卒業後、2年間木工房で修行しその後、ヨーロッパを3ヶ月放浪しました。放浪後のことは何も決まっていなかったので、頭の片隅にあった交流センターへ、職員の募集をしているかどうかも確認しないで、履歴書と手紙を送りました。その後、忘れたころに「当別町へ来てください。」と返事がきて、交流センターの職員として働くことが決まりました。僕が働き始めた時は家族で当別にきたスウェーデン人の職人が居ました。彼らの技術や道具が日本には無いものばかりでもの珍しく、刺激がたくさんあったことを覚えています。彼ら夫婦は僕に「君のみつけたいものはカペラゴーデン手工芸学校にあるかもよ。」と自分たちが卒業したスウェーデンの学校を教えてくれました。単純な僕は「そう?うけるか!」と願書を取り寄せて書きこんでいたのですが、よく読むとスウェーデン以外の国からだと面接は大変なので電話で面接すると書いてあったのです。自分の英語力は中学1年で止まっているし、ましてやスウェーデン語も話せないので、学校に「今から行きます。」と電話をかけたんです。行ってどうなるかわからないけれど、電話でうまくコミュニケーションが取れないなら、学校に行って自分の作品ファイルを見てもらって、直接願書を渡しに行こうと思ったのです。当時、スウェーデン人の先生も英語があまり話せなくて、お互い片言の英語で会話をしました。お互い片言同士なのでなにがどう伝わっているのか解らないけれど合格し、1997年から2000年まで留学しました。

ー 仕事や自分へのキャリアに関する悩みを、これまでどのように乗り越えてきましたか?

スウェーデン留学から日本に帰ってきた当初、交流センターの職員を休職扱いにしてもらってスウェーデンに行っていました。帰ってきたら復帰する予定だったのですが、今のこの木材工芸工房を貸し工房として使って良いという話をもらい、タイミング的にもきりがいいので30歳で独立をしました。その時から今まで11年経っているのですが、妥協しない、無理をしないことで乗り越えてきました。物をつくる時に妥協はしません。妥協すると後悔が残るのです。妥協はしませんが割り切ることで気持ちを整理させます。割り切ることができないと前には進みませんし物づくりはできないと思っています。無理をしないという例としては、例えばテーブルのオーダーを受けた時に材料探しから始まるのですが、いい材料がなければお客さんに素直に「いい材料がないから無理です。」と断るんです。すでにある材料で無理してつくることはもちろんできるのですが、できてから時間が経ってテーブルが曲がってしまったりしても困りますし、せっかくつくるのであれば、そこに妥協しては後悔が生まれますよね。お客さんからは「商売っけないね」なんて言われることもありますが、自分の仕事には嘘はつきたくありません。そしてこのポリシーがあるからこそ、今の物をつくる環境があると思っています。

スウェーデンが教えてくれたこと

ー 島田さんにとって仕事の達成感とはなんでしょうか?

自分の考えたイメージがカタチになった時、お客さまにつくったものを納めた時ですね。カタチが出来上がった時の1割はもっとこうすればよかったのではないか、という反省が生まれます。そう自分が感じた部分はちゃんと書き留めて忘れない様にしています。また、お客さまに喜んでもらえることはとても嬉しいですよね。時間が経ってからご自宅に伺うと丁寧に使ってくださっていたりするとありがたい気持ちになります。それと、留学中に、年配の女性が学校に「古いイスを直してくれないか」とイスを持ってこられたのです。担当になったので詳しく話しを聞くと、そのおばあさんにお孫さんが生まれて、自分が子どもの頃に使っていたイスを直してお孫さんに座らせたいと。そのイスはおばあさんのおじいさんがつくったもので6世代も続くイスだったのです。そういうものづくりを目指したいなと強く思いましたし、自分のつくったものが、そうやって代々続いていくものでありたいと思います。

ー 島田さんの様に若い頃から木工に触れていないとこの仕事はできませんか?

やる気次第で、年齢は関係ないと思います。アメリカにジェイムス・クレノフという2年ほど前に80代で亡くなった木工家がいました。ジェイムスは「俺はなにをしたらいいんだろう、なにが向いているんだろうと」とまちを歩いていた時に、ショーウィンドウに飾られていた木製のカヌーを観て、こういうものをつくりたいと46歳のときに木工をはじめ、最期には世界の3本の指に入るキャビネットメイカーになっていたんです。この話を知った時に、その仕事にどれくらいのめりこめるかで年齢は関係ないと実感しました。よく若い子から「木工を仕事にしたいけど、どうしたらいいんだろうか」と相談されることがありますが、そう思う前に実際にやってみたらいいよと伝えています。

ー 地域との接点はどんなことがありますか?

当別町がスウェーデン・レクサンド市と姉妹都市じゃなければ、スウェーデンにいくこともなかったと思います。姉妹都市は文化交流や親善を目的としています。だからというわけではないですが、地元の方には僕がつくった物に触れて、スウェーデンの技術や文化を知っていただきたいです。また、独立してからこの工房を使用した木工教室を始めました。始めてから10年以上経ちますが月に4回、地域の方をはじめ、当別近郊から参加し、生徒のみなさんは想い想いの物をつくっています。「物をつくる」と、「物を大切にする」意味を本当に理解できます。このことを共有できる生徒さんがいることは嬉しい限りです。

はたらきっぷ=「ANDERS OLSSON」との出会い

ー 今の仕事に興味を持ったきっかけ、仕事に対する価値観が変わったきっかけなどを駅に例えて、きっぷに書き込んでみてください。

スウェーデンへの留学するきっかけを作ってくれた、交流センターで一緒に働いたスウェーデン人の職人ANDERS OLSSON。 留学中、彼らは帰国し学校の近くの町に住んでいたので、学校や家具、木工のことを話しによく行っていました。彼に出会えたことがきっかけで僕の木工家の人生の視野が大きくひらけました。 これからもこの出会いを大切に世界に作品を発表していきたいです。
design studio shimada
代表   島田 晶夫
住所   当別町スウェーデンヒルズ2329-25
URL   http://www.d-s-shimada.com
MAIL   akios@d-s-shimada.com