1979年北海道札幌市に生まれ、当別にある北海道医療大学に進学を機に福祉に触れる。2003年4月に同大大学院看護福祉学研究科臨床福祉・心理学専攻修士課程へ進学。学部時代よりボランティアコーディネーターとして携わり、2005年にNPO法人ゆうゆうを設立、事務局長に就任し、2012年6月より現職の理事長へ。障害者自立支援法に基づく事業では、障がい児の放課後デイサービスや子育て支援の拠点の場作りを行う。また、高齢者の共生型地域生活支援事業などでは、高齢者サロン・配食ボランティア・犬の散歩ボランティアなどを幅広く展開している。現在、10つの拠点で60名以上のスタッフが従事し、どんな障がいがあってもどんなに年老いても本人や家族が望む限り、住み慣れた地域で暮らし続けるための地域づくりを目標に事業を進めている。

福祉という言葉は想像しにくい

ー どのようなお仕事をされているのですか?

NPO法人ゆうゆうの仕事は主に障がいがある方の地域での暮らしを支えることです。
また、ご高齢の方や様々な生活をしている方が住みやすい町を、福祉ベースでつくっています。
一方、NPO法人全国地域生活支援ネットワークでは国に対しての政策提言や全国各地を巡り、
色んな実践を学びそれをどうやって実現していくかということを仕事としています。

ー 福祉の仕事をするきっかけはなんだったのですか?

もともと福祉という言葉自体、色々なことを意味していて
自分の中でイメージできなかったのですが、
たまたま大学の受験がうまくいかずに、縁があり合格したのが医療大学でした。
そこで恩師に出会ったことがこの仕事をする大きなきっかけです。
大学院在学中、当別に学生のボランティアサービスをつくることとなり、
そのプロジェクトを具現化する時に声をかけてくれたのが恩師でした。

ー 今の仕事をやっていきたいなと思った瞬間はどんな時でしたか?

いざ起業して1日目から気持ちは変わらないのですが、やっていきたい。
というよりも、やらなければ。という意識の方が強かったです。
自分の中で根拠の無い自信もあったし、
周りの支えも目に見えて解っていたので、そういう気持ちでした。

ー 起業するきっかけはあったのですか?

大学院2年目は、ボランティアセンターが軌道に乗り始めた時期であり、
自分の進路の決定を迫られた時でした。
せっかく波にのってきたボランティアセンターを終わらせてしまうこと自体が
自分に腑に落ちなかったので、起業をするという選択肢を選びました。
25歳で仲間4人と起業し、僕が事務局長にになったのですが、
NPO法人の申請中は大学院で修士論文を書きながら、資料を常に書き続けている状態でした。

町に住む1人として仕事に向き合う

ー 福祉のまち当別としてなにか意識していますか?

NPO法人ゆうゆうをつくって福祉事業をおこなっていくにあたって、
若い人たちがこの町で雇用されていくことを大切にしています。
福祉はどうしても社会保障なので、行政負担があると思われてしまいます。
どうしても費用負担ばっかりで、財政負担の話しになりがちですが、
決してそうでは無いということを当初から意識していました。
福祉というものが障がい者や老人に対するものというイメージがあるかもしれませんが、
サービスをつくった時に若い人たちの雇用も生まれるし、町に人も定着していくので、
産業の一つとして地域の中で捉えると、今後もっとも若い人たちが
雇用される産業ではないかと明確に思っています。
雇用の人数が増えるにつれ、スタッフには当別に住みながら仕事に向き合ってもらっています。

ー 今の仕事の達成感はどんなときにありますか?

今まで仕事を達成した!ということは無いと思います。
うなぎを掴む様に、捕まえたとおもったら、するっと抜けて行くようなことの繰り返しです。
ようやく掴みかけたと思ったらまた違う問題が出てくるので、
違う展開をしていかなければならない。
でもそれがとても前向きだったり、新しいことをするチャンスだったり、
もちろん、スタッフのみんなが1つずつ具体化するなかで、
日々色んな気持ちはありますが、達成は一生できないんじゃないかと思う。
じゃなければ仕事は続いていかないと思うのです。
福祉はクリエイトする仕事なので、この仕事は映画づくりみたいなもの。
一本いい映画をつくったからといって、どんな興行収入や評価を得ても、
自分が撮りたいものが撮れたのかな?と自分の中で達成できていない部分が、
次の作品の創作意欲につながるような感じです。

ー 働くうえでのポリシーは何ですか?

自分のポリシーとしては、社会とか政治とか仕組みとかの言い訳は絶対しないこと。
その言い訳をしているくらいだったら、自分でつくる。自分たちでやるということに切り替えます。
既成概念にとらわれたくないので、新しい概念をつくっていきたいですね。

ある方から「自覚者は責任者」という言葉をいただきました。
色んな町や社会で気づいたり自覚してしまった瞬間に、
責任者としてそれを実行しなければならない。
最近この言葉が自分に一番しっくりときています。
振り返ると、学生時代を含め10年間この仕事をしていますが、
もしこの仕事をしていなかったら色々な方々のしんどさや辛さに一生気づかず
関心も持たなかったと思うのです。もし気づいたとしても、見て見ぬふりをしていたと思います。
「自覚者は責任者」の通り、見て見ぬふりはもうできないですよね。
この町だからこそ、都会の都心部よりも景色としてそ
の気づきはみえやすいのかもしれませんし、この10年間気づきが常にあります。
常になんかできるかな、やれるかな、とチャレンジしていくことが
僕たちの仕事の面白みかもしれません。
それによって、社会や町に影響を与えることができたらと思っています。

その人のためにできることから、全ては始まる

ー この仕事が合う人ってどんな人ですか?

誰か1人のために何ができるのか考えて行動できる人、だと思います。
その気持ちから全ては広がっていくと思うのです。
仕事って1人からしか生まれないんですよ。
大人数いるから、たくさん困っている人がいるからって、
その人のためになにができるんだろうと、
誰か1人のことを考えることができる人じゃないでしょうか。
そこで経験や資格が無くて実行できないものがでてきたら、
必要になったその時にとればいいと思います。
その人のためになにができるんだろう。と考えていくことが
結果的にこの町ができていっている根源にあると思うのです。

ー 大原さんが目指している姿はどんなものですか?

この町で生まれてから亡くなるまでの間、
本人が希望する選択がこの町にはたくさんある。という町になって欲しいです。
高齢の方は自分が死ぬ時は自分の家で死にたいとか、
もしくは自分の家では無くても家族に囲まれて死にたいとか、
看取りの支援を1つカタチにしていきたいです。
来年から介護にも着手していくのですが、
介護保険の利用でゆうゆうらしい介護保険事業を5年後くらいまでに実現したいです。

また、世帯ごとこの町に引っ越してきたいという町にしたい。
障がいがあって生まれた子が、当別という場所にいたら、
自分たちもこの子もハッピーに暮らせる。
おじいちゃんが認知症になったけど、なんかあの町にいったら、
家族ごと行ってもサポートしてくれるみたいだよ。とか。

介護の短期滞在をしていってもいいと思っています。
他の町ではできないけど、病院と施設と変わらない周りのあたたかいサポートがあって、
看取ることができる。そのまま家族が残って町の人口が増えて行く。
そういったイメージがあります。そして、これで一区切り。
その次は、世界の各地へ日本の福祉の仕組みを必要としているところで
活動していきたい、と最近思っています。

はたらきっぷ=大学4年生の頃に出会った恩師

ー 今の仕事に興味を持ったきっかけ、仕事に対する価値観が変わったきっかけなどを駅に例えて、きっぷに書き込んでみてください。

大学の実習で、自閉症の子と出会いました。
感動や失敗がありながら1ヶ月過ごしたのですが、
その時感じた想いを先生に報告した際に
「そうなんだ、へ~」くらいしか反応が無く、
自分の素直に感じた感情をぶつけることができず
消化不良的な状態でした。
そんな時に出会った恩師は身をのりだして
子どもの様に僕の話しを聞いてくれました。
その先生に出会うまで、自分の感情を大人に見せるのが
嫌と考えていました。
無限実行的なところがあったのですが、
先生に出会って感情をむき出しにして
色んなことに向かっていいんだなと
先生に引き出してもらったと思っています。
特定非営利活動法人ゆうゆう
代表理事   大原裕介
住所   北海道石狩郡当別町六軒町69-11
TEL   0133-22-2896
FAX   0133-23-0811
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